川越高校探険隊homepage

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窪川にて(後編)


【12-1】土讃線[坂出−多度津]
 とりあえず着いたことはついたが、少々早い電車に乗ってしまったことで問題が起きた。電車の接続時間が分からないのである。
 予定だとここで乗り換えれば琴平まで一気に行けるのだが、今この時間だと、このあとすぐ来る多度津(松山方面と高知方面との分岐駅)止まりの電車しかない。
 もしかしたら多度津で高知方面行きの列車に接続するかもしれないので、とりあえずすぐ来る電車に乗ってしまうことにした。
 土曜日の午後ということで学生が圧倒的に多い。かく言う我々も学生だが。
 14:30坂出発。途中までさっき来たところをまた戻ることになる。瀬戸大橋を渡り 終った所の分岐を松山方面に向かう。
 ほんのちょっと乗っただけでもう多度津に到着。14:45。乗った時間が余りに短いので書くことが何もない。

【12-2】土讃線[多度津−琴平]
 やっぱり高知方面への接続電車はなかった。もう一本後の電車でも良かったのだ。でもまあ、こういういきあたりばったりの旅行も悪くはない。
 隣に特急(しおかぜ)列車が止まっていた。電車、ではなく列車もしくはディーゼル車である。客車だけ見ると普通の特急と変わらないのだが、そのちょっと上を見ると、ギョッとするような工場の設備のようなわけの分からない黒錆びたものがのっかっている。そして動き始めるとここから
「ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ」
と言う物凄い音がしながら、それにしては以外とゆっくりと出発して行くのだ。
 この後この騒音にまさに寝耳に水のような仕打を受けることになろうとは、このとき予想だにしなかっただろう。
【琴平駅と清水先輩】
琴平駅と清水先輩
 特急列車が行ってしまうと、駅には静けさのみが残った。冬の終の曇り空の下に、国鉄時代は随分使われたであろう古錆びた線路が、雑草とともに学校グランド大の広さの敷地に横たわっている。そのはじっこのほうを、野良犬が一匹、所在がなさそうにヒョイヒョイと歩いている。何の気無しに「栄枯盛衰」と言う言葉が浮かんできた。こんな気分が「旅情」というのかな、などと思ったりもした。
 人間、遠くに来ると電話をしたくなるものである。赤点のことが気になり、家に学校から連絡が来なかったか電話してみた。今のところ未だ連絡は来てない、とのことだった。
 しばらくして列車がやって来た。15:01多度津発。乗ったと思ったらもう琴平に到 着。多度津と琴平の間にはたったの2つしか駅がないが、それでも13分かかった。というわけで15:14分琴平着。ここでまた接続待ちをしなければならない。

【13】土讃線[琴平−阿波池田]
 列車をおりたら、反対ホームにグリーン車らしき列車が止まっていた。我々が乗る電車を探したがほかのホームには1つも列車が止まっていない。時刻表を見てみると今の時間では岡山発の特急のほかに我々の乗る電車しかないはずである。そんななかで様子を伺っていると、我々と一緒の電車だった客の婆ちゃんとか学生といった数人が、当然といったツラをして前に止まっているグリーン車に乗り込んでいってしまった。
「この辺の人々は生活の足にグリーン車を使うのか!?」
 と最初は驚愕したが、よくよく考えてみるとどうやらこれが我々の乗る普通列車のよう だった。客に聞いてみて、それが確かなものだと分かった。
 それにしてもリッチな車両である。暖房がきいているのはもちろんのこと、座席はカラフルな毛立ちシートで座席の方向も変えられ、何と最前部にはカラオケまでついているのである。わずか7駅間を往復する生活の足になぜここまで贅沢になる必要があるのかと思った が、どうやら観光列車の使い古しを回されたような感じだった。
 とにかく今回の旅行始まって以来のリッチな気分を味わった我々はたちまち逆上してパシャパシャと写真を撮り捲った。しかし、そんな暇人的なことをしても未だ時間があったので駅の外に出てみることにした。改札の隣には米俵、いや、もしかしたら酒樽かもしれないが、とにかくその類のものが積み上げられていた。こんなものに感動してしまったら観光協会の思う壷なので表向きは平常を装いながら内心では動揺しつつ改札の外へででた。
 そこはロータリーが石造りのちょっとしゃれた雰囲気が漂っていて、駅前の商店街へはそのロータリーを真直突っ切る道で一回も曲がることなく商店街の最深部まで行けるように なっている。そこまで行って後ろを振り向くと両脇になぜか狛犬(こまいぬ)がかまえていた。その向こうには琴平駅がどこか外国の家をモチーフにしたような感じの建物でしっとりと存在していた。ここまでされては押えていた動揺も隠せずまたまた逆上してしまい写真を撮ってしまった。これでは琴平観光協会の思うつぼだ。いかんいかん。
【阿波池田駅】
阿波池田駅
 ということで素早く列車に戻った。ようやく列車は出発。15:39。琴平を出てしばらくすると山間部に入ってきたようだったが、僕の記憶はここからしばらく無くなる。夜行列車から溜りに溜ってきた睡眠不足と疲れがこの乗り心地の良い車両で爆発してしまったのである。少し効きすぎの暖房がかえってポカポカと気持ちよく、この少ないながらも確実なリズムを刻むゆれとディーゼルカー特有の超スロースタートの後押しで僕は睡魔に勝てなかった。
 そしてふと目が覚めると列車は周りが深い森に囲まれた山の中に停車していた。谷がかなりせまっている、というよりは谷を切り裂いて作ったといったほうがいいようなところだ。後ろにはトンネルがせまっている。向かいに座っていた青木が、おう起きたか、といったようなことを言った。先輩のほうを見ると、全員起きてるんだか寝てるんだか分からないような状態だった。やはりこの乗り心地の良さは寝不足の体にかなり来るらしい。
 しかし、これはあの心地よいリズムで動いているからいいのであって、止まってしまうと僕のように起きてしまったりする。
 ところでなんでこんな山奥に、しかもよりによってトンネルの手前なんかで止まっているのか、と不思議になった。とにかくこんなに狭いのだし駅なんかは作れない。青木に聞くと、
「交換待ちかなんかだろ」
とそっけない言葉が帰ってきた。線路が1本しかないのにどうして交換なんかできるか、と思ったが外を見てみるともう一本そこにあった。
 そしてしばらくすると突然特急列車が表われ、こんなにスピードを出したら脱線してしまうのではないかと思うくらい物凄い速さで隣を走り抜け、ディーゼルの物凄い音と排気ガスをまき散らしながらもあっという間にトンネルに入っていってしまった。
 我々の列車は「やれやれ、せっかちなのをやっとパスしたよ」といった感じでよっこら しょと動き出した。それに安心した僕はまた眠りに入った。
 青木に起こされ目を覚ますとそろそろ阿波池田に着くところだった。山合いの猫の額の平地にぽっかりと出現した町である。高校野球で有名な池田高校がここにあるのかどうかは分からない。16:32着。

【土讃線の時刻表】
土讃線の時刻表

【14】土讃線[阿波池田−高知]
 ここはこの辺では結構大きな町の様で、スーパーらしき物も見えた。今回、我々は食料を全て現地調達する予定で殆ど持ってきてないのだ。
「窪川にだってスーパーぐらいあるよ。とりあえず今夜と明日の朝の分だけ買えば良いん じゃねえの。」
という清水先輩の言葉よりも、
「なかったらどおするんだよ。」
という貴家先輩の言葉のほうが重みがあった。
 次の列車まで1時間以上もあったし、ここで買い物をすることにした。バカデカウスヨゴレザックをどうしようかと話し合ったが、結局こんなの誰も盗まないという結論に達して駅のホームに置いていくことにした。
 駅を降りると正面に商店街が見える。とりあえずそこを歩いてみたが、これといった店はなくT字路になって商店街は終ってしまった。そこらへんを歩いていた野良犬を激写しつつ右の方向へ向かってみた。と、何処にでもあるようなスーパーを発見。おそらく電車から見えた大きなやつがこれだろう。
 中に入ると関東にあるのと全く同じ空間が広がっていた。よくよく見てみると見知らぬ メーカーの物が多いが、品揃えは全く変わらなく、必要なものは全て揃った。今の時代、こんな山奥でもこれだけの店があるのである。
 久々に欲しいものを欲しいだけ買い、帰り際に店の外で売っていたたこ焼きも買い、すっかり満ち足りた気分になって駅に戻った。
 ホームの椅子に座って列車を待つ。池田の山々にはもう夕闇が迫っていた。あざ穴のときもそうだったのだが、暗くなってもまだその日泊まるところが定まらないという事ほど心細いものはない。しかし、今日は最終的にどうしようもなくなった場合駅のホームで寝袋にくるまって寝てもいいわけだしそれほど深刻には悩まなかった。
 ホームの端の方にある立ち食いソバのかぐわしい香りが我々を誘う。僕は先程タコヤキを食っていたので腹の欲求は少し納まっていたが、他の皆は昼に岡山でラーメンを食って以来なにも腹に入ってないはずである。しかし、まもなく列車が到着する放送が入った。
「どうする?」
「食うか?」
「食うか!」
と話がまとまっていざ店に向かったところで列車がやって来た。「ちっ」と思いつつも、悲しいかな貧乏な我々にはすぐ「よけいな金を使わなくてよかった」という考えも浮かんできてしまうのだった。しかし、一杯のかけそばを食うのにもケチるほど貧乏なわれわれでも四国にこれるのものなのである。はたしてこれは恥ずかしむべき事か自慢すべき事か。

 さて、やって来た列車はたったの1両編成。この車両はMによると専門用語で「レールバス」というらしい。といってもその辺を走っているバスに鉄の車輪をつけてレールにのっかっているわけではなく、1両編成の列車のワンマン仕様といったところである。普通の列車と違うところは前後2つあるドアがバスみたいに折りたたんで開くところと、乗務員が一人しかいないのと無人駅があるためにバスのように乗り口のところにピッと出てくる券を取らなければならないということである。
 しかし、これはこの地方に適応して改良され続けて生れたものであって、これ以上ないというほど実に便利なものである。車両の大きさも丁度良いし、だいち運転手しかいないから人件費がかからない。
 しかし何といっても僕が注目したのは椅子である。この椅子は人一人分のくぼみがついていて、その人がジャイアント馬場だろうと生後1ケ月の赤ちゃんだろうと強制的に等分に席を分け与えられる。これは列車のマナーを知らない人に非常に有効な設備である。というのも、この椅子は新型の八高線(八高線にも新型があるのだぞ!)にも装備されているから、その効果が良ーく分かるのである。
 例えば、これは僕が実際目撃したのだが、八高線旧型車両無凹長椅子タイプがある駅に着いたとしよう。当然ながら車内はガラガラで、席も開きまくっている。ドアがあき、客が乗り込んできた。この駅の客は結構多く、この分だと座れない人も出そうである。その客のうちの一人、最前列にいたAばあちゃん(73歳・仮名)はとりあえず一番近い端席に年の割には素早く座り、やれやれと顔をほころばす。そして随分量の多い荷物を、なぜか自分とは随分はなれた椅子のうえに置く。そしておもむろにぞうりを脱いで足を椅子のうえに投げ出してしまう。ばあちゃんはそこでやっと落ち着いたようで溜息を一つつきつつ目を窓の外にやったりするのである。そのわきでは、
「普通に座ってくれればオレ達も座れるのになあ」
とにたら目をちらちらと送りつつも表向きは平然としている高校生のグループ(お気付きの方もいるだろうがこのうちの一人が僕である)がいたりするのである。
 とまあ、凹み無しだとこのような悲惨な状況があっという間に生れてしまうのだが、くぼみがついていると足を投げ出しても何だかゴツゴツしていて非常に坐り心地が悪く、結局普通座りにもどしてしまうのである。
 長々と車両の状況説明をしている間に列車、いや1両だから単車?電車でもなくディーゼル車だから気動車とでも言おうか、とにかくそれは出発した。17:41。
 こういう日の暮れ方はあまり好きではない。もっと男らしく、カーンと熱い血潮をたぎらせた夕日で辺り一面を真っ赤にさせつつ雄大に暮れていく、とかそういうことができないのだろうか。「この辺が雲」とか言えないような空一面を覆う一様な雲によって、もともと暗い景色が、そういえばと気が付くと陰湿にじわじわと暗くなっている、などというような根暗な暮れ方はやめてほしい。やめてほしいと言ったところでやめるような空じゃないだろうが。
 池田を出てから気動車はずっと川沿いを走っている。それがここに来て川が随分下に行ってしまい、つまり我々がどんどん高いところに登っているようで、それにともなってトンネルが多くなってきた。
 中の暖房は良くきいていて、というよりききすぎていて、丁度僕の真下に暖房の吹き出し口があって、さらにザックを前に置いていたのでそこに座ると熱風がそこにこもってとてつもなく蒸してくるのである。人間は我慢すればどうにかなるが、ザックの中の食料はどうにもならない。しょせん焼け石に水だとは思うが、一応マヨネーズだけは車内でも比較的涼しいと思われる窓際に置いておいた(しかしこんなに苦労して持っていっても結局トンビにかじられて使い物にならなくなる)。
 池田を出てから2〜30分位たった頃名もない駅を出発してから運転手さんは言った。
「つぎは、コボケ。えーつぎは、コボケ。」
コボケ?確かにそう聞こえた。次の駅について看板を凝視する。確かに「こぼけ」とあった。「小歩危」と書いて「こぼけ」と読むのである。なかなかくだらなくも感動的な名前である。さらに、駅の看板には、次の駅をこう記してあった。
「大歩危」
もしかして?いや、もしかしなくても…。そう、そのとおり、次の駅は「オオボケ」であった。なんてオオボケな名前の駅なのだろう(などとこんな名前見るとダジャレを言いたくなるだろう、誰でも)。
 何でもここは切り立った渓谷が多く、下手に歩くと危険だから(もしくは単にボケていると危険だから)「歩危」という地名がついたらしいのだ(本当かよ)。
  というわけでこのあたりのものはボケ峡にはじまりコボケ地域・オオボケ地域・オオボケトンネルそして究めつけのボケマートまで、何でも「ボケ」がついてしまうという、とってもとってもナイスこの上極まりない土地柄なのである。
【四国山地の夕暮れ】
四国山地の夕暮れ

 さてその「ボケの里」を出発すると、いよいよ山も深くなってきて、何時の間にやら日も暮れ、
「このままタヌキの里にでも連れていかれて化かされてしまうのではないか」
といった不安もぼく一人で勝手に(しかも結構マジに)思うようになってきたほど、どんどん奥に、どんどん高所に進んでいく。トンネルも非常に多くなってきて、外を走っている時間よりトンネル内を走っている時間のほうが長いくらいだった。それにしても、電車、いや気動車でこんな山地を走っちゃっていいのだろうか。
 言い忘れたが、この辺りになると、一駅当たりの停車時間が非常に長くなる。4〜5分は短いほうで、長いのになると10分も20分も止まったままである。
 そんな長い停車時間のある駅(多分「土佐北川駅」だと思う)で、車外に出てみると、珍しく駅が近代的だった。何でこんな山奥で高度な施設があるのかと周りを見回してみると (既に夜中で暗くて良く分からないのだが)上のほうに橋のらんかんのようなものがある。そういえばさっきから下のほうで川の流れるような音がしていた。で、下を見てみると思わず足が震えてしゃがみ込んでしまった。
 何と、この駅は橋のド真ん中にあるのである。しかもハンパな高さじゃない。少なくとも5〜60m(暗くて距離間が良くつかめなかった)はあったろう。しかもおまけに風が吹くと揺れるのである。電車の通る橋なのにたかが風ごときで揺れちゃって良いのだろうか。ところでどうもさっきから「〜しちゃって良いのだろうか」という表現が多いが、はっきり 言ってこういう表現がぴったり合うほどこの線には不安が多すぎる。
 実はここで外に出たのは便所に行きたかったためなのだが、運転手さん兼車掌さんが指差した便所の方向は、橋の端に(しゃれ)ついている申し訳程度の階段だった。冗談じゃな い。あんなプラモデルみたいな階段を信用できるか。
 というわけで用足しはもうすこし我慢をしなければならなかった。
 また気動車は動き出した。ちょっと前から、僕は熱い座席を避けて車両の一番後ろの部分にいた。ここは本来車掌さんがいるべきところなのだが、ワンマンなので運転機器のところだけを囲ってあってあとは開放してあるのだ。そこの窓を全開にすると、入ってくる風が心地よい。
 と、あるところまで来ると、突然駅でも何でもないところで気動車は止まり、運転手さんが運転席から僕のほうへカツカツと歩いてきた。
『ゲッ、ぼくなにか悪い事したっけか?窓から顔を出しているのが悪いのか?それとも、もともとここはあいているだけで客は来てはいけない位置なのだろうか?』
などといきなり焦ってしまい、思わず聞いた。
「す、すいませんここ来ちゃ行けないところなんですよね…」
「いや、別に構わないですよ。」
と言いつつ、運転手さんは僕の横の運転席に座った。そこで僕も初めて気が付いて後ろを振り向くと、ここはスイッチング式の駅だったのだ。
 つまり、本線に駅を作る場所がないため、引込線をひいてそこに駅を作ったわけなのだ。気動車はバックでそこの駅に入った。
 運転手さんによるとここで上りの特急をやり過すため少し停車するらしいので、僕は下りて便所に向かった。ここも駅舎のほかに民家らしき家が一軒あるだけで、とても寂しい山奥である。タメベンから出ると、真っ暗な山奥で唯一我々の乗ってきた気動車がポッと明るい部分だった。
 ついでに水も飲んで気動車に戻った。相変わらず壊れそうな程ものすごい速さで特急は 行ってしまい、我々の車両は「ドリュリュリュリュ」気合いの入った音のわりに全然加速 Gのこないスピードで出発していく。
 この駅を過ぎるとだんだん高度は下がってきた。そして何時の間にか山地は終り、気が付くと気動車は平地を走っていた。山のなかを走っているときは心細かったが、いざ終ってしまうとそれはそれで寂しいものである。
 そしてついた駅が「ごめん」という駅。「後免」と書くのだが、四国の駅名にはさっきの「おおぼけ」とかとにかく変わった名前が多いのでそのたびに驚いていてはきりがない。
【ごめんにて】
ごめんにて
 この駅でもまた停車時間が長かったので便所に行った。そのあと記念撮影。運転手が見てないのを見計らって僕と貴家先輩がサーッと素早く線路のうえに下りて気動車の前に立ち、藤田先輩も素早く下りて我々をパシャッと撮る。そして目にもとまらぬ速さでまたホームに上がる。その所要時間わずか3秒。
 ちなみに、そこの駅に掲げてあったこの歌を載せておこう。

***お詫び:で,ここにはその歌が載ってたんですけれど,当然著作権の問題がありまして,残念ながら掲載できませんでした.がんばって後免駅まで行って見て下さい(^_^;).***

 この歌は高知線の各駅にそれぞれ三番ずつ書かれているようで、この駅では二一番から二三番まであった。
 この駅を過ぎると、相変わらず平野の割には寂しい駅が続いた。しかし、なんとなく高知がすぐそこまで近付いていることを予感させた。この線は古くて新しいことが随分あった。また帰りにも乗ることになるだろうが、そのときは昼だろうからまた違った旅を楽しませてくれるだろう。
 僕は、これだけ発展した日本でまだこれだけ良い味を保ってくれている土讃線に一人黙って感動するのだった。
 高知到着20:03。

【16】土讃線[高知−窪川]
 さて今日最後の乗り換えである。今度乗る列車(やっと「列車」という表現ができるようになった)は今回の旅行の最終目的地であり土讃線の終点でもある窪川に通じる。いよいよ我々も来るところまで来てしまった、といった感じである。
 夜の高知駅。レールバスに別れを告げて連絡橋を渡る。しかしそれにしても田舎くさい駅である。本当にこれが名にし負う高知駅なのだろうか。だいちホームも数える程しかない。感じとしては改装前の川越駅といったところか。
 ザックを置いて1番ホームにある改札から外に出る。腹が減っていたので何か食いたかったのだが、駅の食堂はもう閉まっていたし、駅近辺にも食い物の店は見えなかった。N先輩によると少し歩いたところにケンタッキーがあるらしいのだが、さすがにそこまで行くほど時間はない。ということで夕飯は窪川までお預けである。
 駅前は少々作った感じのあるヤシの木が数本、寒そうに揺れていた。南国というイメージから植えたのだろうが、3月の四国のこの寒さのなかでは明らかに場違いな景色である。
 みやげ屋兼駅売店といったところで窪川まで腹を持たせる程度のお菓子を買い、ホームに戻った。ちなみに、ここ高知では今迄の駅と違って改札を出るときに青春18切符にペッタンコと「高知」マークのはんこうを押されてしまった。しかし、押されたからどう、ということでもなく、ただ単に記念といったもののようだ。
 まもなく結構長い編成の列車が入ってきた。今日最後の列車に乗り込む。ホームに並んでいる客が結構いたので焦って乗ったのだが、そんな心配は不必要だった。
 20:34高知発。高知を出るとまた寂しいところを走るようになった。何しろこの列車は窪川への終電、いや終列車なのである。8時半の終電。こんなところから比べれば越生は大都会である。といったことを話したらみんな鼻であしらった。S先輩やAなどはあきらかに僕と同類項なのに。
 しばらくすると列車は何でもないところで止まってしまった。窓の外はすぐ畑がある。一体これはなんなのだ、時間調整のためなんでもないところで止まるのか、と当惑したが、何のことはない、駅のホームの長さが足りないためホームにかからない車両が出てしまうだけのことである。随分田舎じゃないかと思う人もいるかもしれないが、渋谷−横浜を結ぶ東急東横線でもあることなのである。
 とにかくそういうわけで、駅が来るたびに、「次は真ん中の2両からお下りください」とか「後ろ2両から」とか下りる車両が限定されて色々変わるという非常に楽しいことが起こるのだ。
 ちなみに我々の車両は一番前でホームにかかるときが殆ど無く、もともと客も少なかったから非常にくつろげた。
 ここまで来るときに一通り眠気を味わっていて、この列車に乗ってからはあまり眠くもなかったので、全員でUNOを始めた。常日頃同級生同志でドボンとかシビアなトランプばっかりやっていたのでこのUNOはしみじみと楽しかった。
 途中の駅名は「いの」「とさかも」「あそう」「とさくれ」「あさくら」(最後のは一部の隊員にしか分からない)など、物凄いのが連発したが、そんな攻撃をくらってももう我々はビクともしないのである。
 さて最後の2時間半の列車の旅も終に近付いてきたようである。着々と客も下りていってしまい、最後のほうは我々のほかに1〜2くらいしかいなくなってしまった。そこで僕はガキのように列車のなかを一番後ろまで見回ってきて、
「スゲエ僕なんかのほかに客がいない!」
などとはしゃいでしまったりしたのである。
 トンネルが多くなった。そして最後のトンネルを抜けると、やっと、ついに、とうとう、窪川についてしまったのである。思えば東京を出て以来、色んなことをやりつつも、よくこんな四国の端まで来てしまったものだ。それも2260円で。
 窪川着22:50。越生を出てから既に27時間を経過していた。

【12】窪川についてから
【窪川駅でビバーク】
窪川駅でビバーク
 着いたはいいものの、どうしたら良いだろう。もうこんな時間だし、今から川まで歩いていくのは何かと危険である。ということで駅の人に聞いてみたら、カヌーの人達はいつもそこにテントはってるよ、と駅の軒下を教えてくれた。
 お隣には自動販売機あり、便所あり、水道あり、屋根つき、と至れりつくせりである。我々がテントを張っていると、我々が乗ってきたのが終電だったのであっという間に電気が消え、駅員さんは帰ってしまった。荷物をバラバラに広げてしまったのでしまわなくちゃ、とは思ったが、思っただけだった。
 ガスランタンの珍しく頼もしい光のなかで、各自で飯を食い、寝た。暴走族らしきバイクの音がちょっと怖かった。

■3日目 現地初日
「ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド」
 ───何かどこかでとてつもなく大きい音がする…まてよ…あの音はどっかで聞いたような…
 窪川での最初の朝は、ディーゼル車のから吹かしの音で起こされた。そう、多度津で聞いたあの音である。
 僕の早起きには定評があるのだが、僕が起きると既に藤田先輩が起きていた。時間を見ると、もう6時近い。始発の前にかたずけよう、などというのはすでにして不可能だった。
「オレ今見に行ってきたけどさあ、そこ行ってすぐの所に川があるぜ。でもそれ四万十川じゃないみたい。」
 速攻で全員起き、満足に朝飯も食わないでテントを撤収し、便所の水で歯磨きをしてでかけた。駅の人に迷惑をかけるわけにはいかない。駅前の閉まっているスーパーらしき建物が気になったが、どっちにしろ後で来なければならないわけだからほおっておいた。
 駅からのびる道をまっすぐ歩いていく。今日は何曜日かとうの昔に忘れているが、何か町に人けがない。といっても、まだ時間が時間だから当然か。道を進んでいくと、左手に窪川小・中学校、右手に「香月寮」が現われた。小学校と中学校が一緒の敷地内にあり、しかも寮付きなのである。ここでいきなり「僻地に来た」ということを実感させられた。この辺の地名は「香月が丘」というらしく、その名前が寮名にもなっているというわけである。ところで個人的にはこの「香月」というのに思い当ることがあるが、それはまた別の機会に。
 そこを過ぎると道は突然細くなり、林道のようになってしまった。しかもご丁寧に空缶をはじめとする投げ捨てゴミ付。こんなところまで都会の林道を真似しなくても、と思うのだが。
 さらに進むと目の前は突然開けた。
 そこにあったのは我々が遠い遠い所からひたすら求め続けてきた正にそのものだった。
 四万十川、本名渡川、現在日本で数少ない清流、カヌーの聖地。
 山あいの田んぼの中央を堂々とした風潮でうねり突き進んでいる。川幅は今まで見てきたどんな山の川よりも広く、水量も豊富。そして周りに広がるのは正に絵に書いたような古き良き日本の農村地帯である。むこうの山の麓には鳥居が見える。多分あの山のなかに神社があるのだろう。
 たんぼが、農家が、神社が、川が、生きている。関東にあるような、住宅団地に首を絞められているような農村地帯とは全く違う。とんびが飛んでいる空はあくまで自然な空であり、山はあくまで自然な山であった。

【窪川の農村風景】
窪川の農村風景

 川がカーブしているところに大きな砂地があった。どうやらそこが先輩たちの目の付けていた場所らしい。そこにはいっぱい枯れすすきが茂っていた。
 橋を渡って清流であることを確認しつつ、そこへ向かっていく。田んぼのあぜみちにはもうつくしやれんげが咲いている。一段下がってすすき林に突入し、そこを抜けると目的地の砂地に出た。目の前をとうとうと水が幾千もの光を反射しながら左から右へ流れていく。一つとして同じ波はないし、一つとして同じ音はしていない。そんな水が流れていくところ に、砂地からモコッとした大きな岩が飛び出していた。なんとなくそこに登りたくなり、ゾウリに履き返るのももどかしくそこに登ってみた。周りを見回す。
【モコッとした大きな岩】
モコッとした大きな岩
 目の前には川幅30mくらいの四万十川が流れており、その向こうにはコンクリートの護岸がそびえ立ち、その上はちょっと田んぼがあってすぐ杉林の山となっている。左を見るとはるか向こうまで山あいの農村の風景が続いており、右はかなり行ってハゲ杉山。後ろを見ると枯れすすき野と砂地と我々の汚い荷物。その荷物が置いてある所にテントをはることにした。
 我々が手入れ不足でカビがはえてしまったキャンベルテントを広げていると、突然川の向こうのほうから現地の人とおぼしき老人がやって来た。話し掛けられたら答えようと思ったが、向こうのほうで川を見ているだけでこっちには寄ってこなかった。しばらくふらふらしてまた去っていってしまった。今日の川の具合を見ていたようでもあったが、訳の分からないよそ者の様子を伺いに来たようでもあった。
 さて、テントを張り、荷物をぶちまけると、今朝一番遅くまで寝ていた青木と清水先輩 は、四国の3月17日の日ざしを浴びながら昼寝に突入した。藤田先輩と貴家先輩は早速 フィッシングへといそしみ始めた。僕は別に眠くもないし、彼らの釣りを見ることにした。
 清流で有名な四万十川だし、釣りなんかしちゃったらもう入れぐいしまくりかと思った が、釣る人が悪いのか魚の機嫌が悪いのか全然当たりが来ない。つれない釣りなんてつまらないし、それを見ているのはもっとつまらないので僕も昼寝をすることにした。
 銀マットを広げ、あおむけになると、四国の日ざしはもう春である。ダウン付のマンパなんか着てたら暑くてしょうがない。ついでにセーターも脱ぎ、ウールシャツも脱いでとうとうTシャツ1枚になった。もちろん下も半パン1枚。でもそれで丁度良い。半年間日の日ざしを浴びることのなかった素肌に四国のひかりは気持ちよく染み込んできた。
【中央の赤と青が我らがテント】
中央の赤と青が我らがテント

 藤田先輩が原始的火付の道具を取り出した。円い木を弓のようなもので高速に回転させ、木にこすりつけてその摩擦熱でケズリカスに火をつける、といった原理である。家では成功した、といっていたが、結局この日は駄目だった。
【原始的火付】
原始的火付
 約30m上空をトンビが滑空している。絵に書いたように「ピーヒョロロ〜」(本当にそう鳴くなんて思わなかった)と丸く円を描いているのである。一見カラスのようにも見えたが、あの鳴き声をされてはとんびと認めざるをえない。いや〜、いいですね〜、とかこのときは実に朗らかな気分で見ていた。しかしこの気分は次の日の夕方に殺意に変わる。
 
 僕が巨大な丸太を発見して何とか動かそうとしたが無理だった。それを皆に言うと藤田先輩が「俺が動かす」と言ってシャベルを持ってでかけていった。延々と10分近くも埋まっていた丸太を掘り出す熱意に皆が負ける形で、手伝うことにした。4人で1・2の3で押すと、丸太はゴロリと動いた。藤田先輩はこれを水に浮かべてみたい、というので川まで持っていったが、丸太は沈んでしまった。
【丸太を発見】
丸太を発見
 しばらく寝ていたが、悲しいかな日本人の性、折角四国まで来たのに寝てるなんて勿体ない、と体を動かさずにはいられなくなった。そこで埼玉からはるばる持ってきた通称カエル足、本名バカ長を取り出し、装着して四万十川へと突入を試みた。完全防水とはいえ、それまでダブダブだったバカ長が水に入った途端に水圧でピッタリ体に張り付き、水の温度が伝わってくると、一瞬水が漏れたのではないかと思ってしまう(実際ちょっと漏れていたが)。
 バカ長で川のなかを歩いていると、どうも最初の印象とはちょっと違うということが分 かってきた。関東の川のようにドブ臭い匂いはしないものの、自然にできたにしては泡ぶくが多すぎるのである。泡の原因は恐らく家庭から流れ出た生活排水、おもに食器洗剤や洗濯洗剤だと思われる。最初は飲料水は川の水で十分だと思っていたが、どうやらそれをやるとようばけの2の舞いになりそうである。
 僕の様子をみていた貴家先輩が、お前いいもん持ってんじゃねえか、ちょっと貸せ、とバカ長を借りていってしまったので、また僕は暇になってしまい、しょうがないから朝飯兼昼飯を食うことにした。
 川水を煮沸させた水で飯を炊き、ボンカレーをかけてそれを食い終ってもまだ貴家先輩に成果はない。
「目が良く見えないからだ」
と目のせいにしてとうとうメガネをとりだし、下流のほうへと遠征に行ってしまった。

【怪しの老人】
怪しの老人
 それからまた一眠りすると、時間が昼近くなった。阿波池田での買い出しの分はもう底を突いていたので、朝のスーパーの事も気になり、買い出し隊を派遣することになった。すなおに行きたい人、残りたい人が別れ、藤田先輩、貴家先輩、青木が買い出しに行くことに なった。清水先輩と僕は残り組。
 買い出し隊がすすき野に消え、また橋の上に現われ、山のなかに消えていった。と、それに合わせたかのように上流のほうから何やら騒がしい集団がやって来た。地元の子供らし い。小学校3〜4年くらいの女の子ばかり5〜6人。我々に気が付くと一瞬何かバケモノでも見たようにギョッとし、しばらくこちらを見ながらゴニョゴニョ話していた。そしてその場に輪を作って座り、何かを出し始めた。どうやら小春日和に弁当をもって川原に遊びに来たところ、前から目を付けておいたところに正体不明のあんちゃんたちが店を広げてしまっている、といった状況なのだろう、彼女らにしてみれば。
【大昼寝大会】
大昼寝大会
 我々が下流の様子を見に行くと、彼女らは待ってましたとばかりに出っ張った岩のところに行った(さっきまで我々が近くにいたのだ)。そして何を思ったか突然服を脱ぎ出したのだ。一瞬気が狂ったか、と思ったが良く見ると下に水着を着ていた。しかし、いくら四国があったかくても、まだ泳げる水温ではないだろう。
 最初は岩のうえに登ったりして飛び込むつもりだったらしいが、水をさわってみて無理だと分かったのだろう、一同がっかりしたようだった。仕方がないので水かけをして少々たわむれ、それだけでまた弁当を食っていたところに戻っていった。しばらくそこに居て、去っていった。
【お食事会なのだ】
お食事会なのだ

【買い出し中の人】
買い出し中の人
 やれやれ、と一息ついていると、またもや何かやって来た。今度は犬である。しかも大型のシェパードとシベリアンハスキー。しばらくすすきの中をフンフンとかぎ回っていたが、我々に気が付くと先程の少女らと同じ様にギョッとした。しかし、彼女らと違うのは、一瞬にして食い物の匂いをかぎつけこっちに走り寄ってきたことだ。いくら飼い犬のようでも大型犬が2匹もして走り寄ってくるようじゃ怖くないわけがない。ここで逃げるとかえって 追ってきそうなので身動きできないでいると、彼ら(彼女らかもしれないが)は我々の広げてある荷物を1コ1コかぎ始めた。あ、やばいな、そのとなりのが食料袋だよ、と思った瞬間に、
「ベン、ベーン、シーザー、」
という女の子の声が聞こえてきた。その声の主は2人の中学生くらいと1人の保育園くらいの女の子である。またもや彼女らも我々をみてギョッとし、距離を100mくらいおいてひたすら犬の名前を呼んでいた。どうやらこの犬たちの名前は「ベン」と「シーザー」というらしいが、どっちがベンでどっちがシーザーなのか分からない。 そのベンとシーザーは飼い主に自分の名前を叫ばれて仕方なく飼い主のもとに帰っていった。そしてしばらく彼女らと水辺で遊んでいた。
 しかし如何してもハスキーのほうは我々の食料が気になるらしく、飼い主のスキをついてまた我々のほうにやって来た。今度は気合いが入っている。目つきが違う。先程は僕や清水先輩を人見知りした目で見ていたが、今度はそんなの御構いなしに食い物を探し始めた。
「シーザー、シィザァ!」
と保育園の少女が駆け寄ってきたが、シーザーのほうははなっから彼女をなめて掛かっているようで全く無視している。中学生のほうが駆け寄ってきてやっとシーザーは去ってくれた。シェパードのベンのほうはシャイなのかどうかよく分からないが、傍観しているだけでおとなしくしている。しばらく水場で遊んでいて、彼らは帰っていった。と、それと入れ替わるように買い出し隊が帰ってきた。
■4日目 現地2日目
【セリおじや】
セリおじや
 5時半に起床。鍋の水には氷が張っていた。
 相変わらず朝寝坊の清水先輩と青木をおいて遠洋漁業に出ることにした。先輩たちは橋を回り、僕はバカナガで川を横断して対岸に渡った。
 コンクリ護岸を登り、田んぼに出た。昨日目を付けておいたちょっと下流の淀みのところに行ってみる。瀬のあとの淀みでなかなか大物がいそうであり、夏に泳いだら気持ちよさそうなところでもある(ちょっと汚いけど)。
 早速2人はルアーを投げ込んだ。キリキリとリールを巻き、何も釣れないのを確認して、もう一回ヒュッと投げ込む。朝霧の立ちこめる四万十川にルアーの音が響き渡った。
 しかし、何度か投げ込んでみたが、全くあたりはこない。どうもこの淀みには魚はいないようだ。場所を変えることにした。下流に向って移動する。途中いそうな所があり、そこで止まって再びルアーを投げ始めた。
 何度目かの投のときだった。
「ミシッ」
 突然貴家先輩の竿から音がした。
「ああぁぁぁっっっっ…(絶句)…マジかよう」
 今回の旅行の数日前、キャンベルで買ったばりの新品のフライだった。貴家先輩にまたひとつ悲しい話が増えた。
 かなり下流まで行ったが成果は無しだった。ふたりとも何度か手答えはあったのだが。
帰り道、朝飯のおじやに入れるためにつく採った。最初2〜3本見つけると、そこらじゅう何千本もあることに気が付いた。セリやイヌノフグリ、レンゲも咲いていた。南国土佐では本当にもう春なのである。
 テントに戻って寝ている2人をおこし、朝飯兼昼飯を作り始めた。つくしの襟をとり、つくだ煮にした。おじやにはセリを入れた。四万十の早春の味がした。
【四万十川の夜明け】
四万十川の夜明け

【行き倒れのバカナガ藤田氏】
行き倒れのバカナガ藤田氏
それが終ってしばらくすると、全員で上流に遠洋漁業に出ることにした。下流が駄目なら上流さ、である。橋を渡って左へ曲がり、数百m上流へ歩いていたときだった。
「おい、あれテントのあたりじゃん!?」
見ると、なんとそのとおり我々のテントのあたりから煙が上がっているのである。一瞬昨日来た数々の人の顔が浮かび、まさかあの人たちがするなんて信じられない、と思ったが、万が一を考えて先輩たちが走って戻っていった。「お前らは先行ってていい」と言っていたが心配で行けるはずもなく我々も戻った。でも、案の定その煙は田んぼの野焼きの煙だった。ほっと一息。
 また上流に向う。野バラの密集するところを突入したり、シノ林を薮漕ぎしながら良い釣り場を探し求めたが、結局成果はゼロ。地上はもう春でも、川のなかはまだ冬らしい。
 テント場に帰ると時間はもう3時近くになっていた。
 川につけておいた肉が中身だけ食われ、マヨネーズはひとつきだけしてあった。
「ピーヒョロロー」とそしらぬ面をしているトンビ。
【切り株をばらす】
切り株をばらす
 また今日も薪集めをしなければならないが、昨日で近場の薪は全部拾い尽くしてしまったので今日は遠出をしなければならない。
 各自で散らばったなかで、大物しか狙わない僕は近くの林のなかに突入した。昨日から目を付けておいたものがあるのである。
 それは切株を掘り返したそのままの姿で転がっている木の塊で、幹は少々太すぎる気もするが根のほうはなかなか使えそうだった。それを引きずってテント場まで持っていき、ナタやノコギリで解体した。
 太い薪を割ったりしていると、バカナガの機動力を生かして対岸に渡っていた藤田先輩が何やら引きずりながら川を戻ってきた。大量に採取した薪を紐で縛り持ってきたのである。これだけあれば明日のまでもまかなえる。
 藤田先輩は陸地に付くとドウと大の字にひっくりかえり、しばらく荒い息をしていたが、突然ムクッと起きて何をするのかと思ったら服を脱ぎ出した。そしてTシャツ・トレパン姿になった藤田先輩は川のほうに走ってゆき、おもむろに水のなかに飛び込んだのである。いくら仕事の後だからといって現地の小学生が震え上がる水温である。泳げるはずもなく数秒後飛ぶように陸地に帰ってきた。しかしそれでめげないのが藤田先輩である。僕が面白がってカメラを取り出すと先輩は岩の上に登り、「飛び込むから撮ってくれ」と言った。それから数分間先輩は存分に水遊びを堪能していたが、流石に体温が下がったらしく震えながら上がってきた。後で計ったら水温は11℃だった。夜は冷えた。
【四万十川のマヒル】
四万十川のマヒル
■5日目 現地3日目
【朝からくつろぐひとびと】
朝からくつろぐひとびと
 この日は街にでてどこかの風呂に入りに行こうと決めていた。あんまり早く行ってもやってないだろうから、みかんの袋をかぶったり木に登ったり朝グソをしたりして時間をつぶし、10頃出発した。とりあえず駅に行ってみて、地図を見たが温泉は電車やバスでけっこう離れなければならなく、電話長で調べてみても、温泉や銭湯らしいところは町内になかった。ところがタクシーの運ちゃんに聞いてみると1軒だけあるという。どうやらお寺の宿泊所に付いている風呂のようで、町民もけっこう入っているとのことだった。早速そのお寺に行ってみるが、ダミー寺があったりして結構迷った。漸く着いたと思ったら、入れるのは3時から。ここでボケてても使用がないからまた幕営地に戻ることにした。
 帰りに酒屋によってアルコールを補給し、道沿いのスーパーで色々食料品も購入した。僕はドタ靴で来ていたのでついでにサンダルも購入。レジのねえちゃんが可愛いか、可愛くないかでもめた。遠回りをして少し下流のほうからさかのぼっていく。道のわきには菜の花が咲乱れ、もう春なんだということを実感した。
【3月です。】
3月です。
 着いたと同時に、僕は海パンになって川に飛び込んだ。入れない水温ではないが、泳げる水温ではない。写真のように泳いでいるのはほんの一瞬だけだった。その後真昼のビール。四万十川で日向ぼっこをしながら飲むのはこの上もない贅沢だった。
 午後になり、また寺に向かった。寺の裏のようなところから入り、脱衣場の前にいるおばちゃんに300円払って入る。だが、お湯があまりに熱すぎて入れない。まだ沸かしたばっかりで全然うめてないのだ。隣にはサウナから出てきた人用の水の槽があり、こっちは冷たすぎて入れない。
 使用がないのでサウナに入り、身体を熱したところで一気に真水槽に入った。そうしたら難なく入れ、じゃあと入ったら感覚がマヒしてしまったのか熱いほうにも平気で入れてしまうのである。我々が平然とした顔で入っているので何も知らないおじさんが一気に入ろうとし、飛び上がって出てしまったからやっぱり我々の感覚がマヒしているのだろう。
 これ以降、身体を麻痺させなければならないほど熱い風呂でないと入った気がしなくなってしまった。困ったもんだ。
 幕営地に帰って最後の四国の夜を過ごした。僕はガスボンベを焚火に投入して爆発させるのがやりたくなり、昨日の木の根っこのやつにガソリンを大量にふりまけ、火をつけてそのなかにガスボンベを投入した。走って逃げてみていると、約2分後に「シュポッ」という音がし、3秒後に川のほうで「ポチャン」という音がした。どうやら爆発はせずにガス缶の底の丸みがそっくり反り返ってしまった為のようだ。
【てらてら】
てらてら

■6日目 帰る
 朝早く起きて、さっと撤収し、駅に向かった。
 窪川では160円切符を買っていわゆる「キセル大作戦」を決行したが、なぜか検札に来た訳でもない車掌さんに、
「お前ら青春18切符だろう、あれは日付を入れないと駄目なんだ」
と強引に日付を入れられてしまった。
 ここからはまた電車の旅になるが、土讃線のある駅で運転手さんと記念撮影をしたということと、東海道線の夜行列車のなかで僕は酔っ払ってしまったということだけ書いてこの旅行記を締め括ろう。

(終)
【貴家氏は妙にうれしそう】
貴家氏は妙にうれしそう





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