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あーかいぶ


富士山麓青木ヶ原樹海に発見した
「神座川越風穴(108号)」について
「紀要」第26集(1989) 埼玉県立川越高等学校
西川正己・地学部探険隊一同


1.はじめに


 本校地学部探険隊は,1988年7月31日,富士山の北西・青木ヶ原樹海に広く分布する溶岩地帯に新風穴を発見し,日本火山洞窟協会から「神座川越風穴」と命名された.この発見は,日本火山洞窟協会の呼びかけで,本校地学部探険隊17名を始め日本冒険クラブ7名,静岡大学5名,中央大学4名,東海大学2名,協会から8名の合計43名で実施された青木ヶ原樹海調査の2日目のできごとである.当日もNHK甲府放送局が密着取材し,翌年3月25日放映の「樹海・富士山青木ヶ原」ではこの調査の様子が全国ネットで紹介された.
 現在,青木ヶ原樹海を始めとする富士山麓の溶岩中には106個の洞窟が発見されており,今回の調査により「神座川越風穴」を始めとした5つの新風穴が新たに加わり合計111個となった.
 発見場所は山梨県鳴沢村軽水で,...[sake注:この部分は所在地が記載されているため,省略いたします]....付近である.
 以下,「神座川越風穴」の測量結果について述べたい.

2.調査経過


 1.第1回青木ヶ原樹海調査(1988年7月30日・31日) 丸山哲夫先生以下17名
 富士山麓には青木ヶ原樹海をつくる青木ヶ原丸尾の溶岩流をはじめとして,万野溶岩流,三島溶岩流,大淵溶岩流,二子山溶岩流,鑵子山溶岩流,須走山溶岩流,犬涼み山溶岩流,雁ノ穴溶岩流には数々の溶岩流や溶岩樹型が存在している.溶岩洞窟はこの日5つの新洞窟が発見され,合計111個となった.
 この度発見の新洞窟は,地学部探険隊の貴家雄一(さすが・ゆういち)君が第一発見者であった.新発見の洞窟名に川越の名称が正式に加えられ「神座川越風穴」と新称された.
 2.第2回「神座川越風穴」の測量(8月14,15,16日) 西川,花井,貴家,吉川の4名参加.
 神座川越風穴(108号)を早急なる測量の必要を感じて,急遽編成して実施する.この風穴の平面図と縦断面図が完成し,直ちに日本火山洞窟協会の小川孝徳先生に送り,御指導を仰いだ.
 その結果,神座川越風穴はA,B,Cの3つの空洞が連結したものであり,AとBとの空洞を連結する部分には溶岩ボールや溶岩柱があって,連結の過程を知る上で重要な材料となることが分かった.
 この調査に当たって,さらに新事実が発見された.それは同じ入口から南側に続く部分があって,かなり奥の方まで広がっているという事である.これも洞窟発見に強い意欲を持つ貴家雄一君の探求心がなせるわざと言えるだろう.
 3.第3回調査及び測量(10月8日〜10日)西川,貴家,雛元,太田の4名参加.
 流動部は入り口付近と再奥部とでは床面が5mほどの落差があって,北西方向に延びていた.しかし南西方向に広がる部分の床面の落差は殆ど認められない滞留部となっている.
 滞留部の測量も,流動部測量と同様に,コンクリート釘を打ち込み,水糸を張って測量の基線を設置することから開始.入り乱れた構造で測量はかなりの困難を極めた.この調査で,滞留部の3分の1の測量が完了した.
 4.第4回調査(1989年4月2日〜4日)
 青木ヶ原樹海内の調査を主として,測量は実施していない.
 5.第5回調査及び測量(8月8日〜13日) 探険隊20名参加.
 新1年生を9名加え,新人教育として西湖こうもり穴,富士風穴,本栖風穴,軽水風穴,背負子風穴に入洞した.
 神座川越風穴の測量も進み,全体像を把握するレベルに達した.
 6.第6回調査及び測量(1990年3月)探険隊6名参加.神座川越風穴の測量を完成.

3.「神座川越風穴」について


 位置は東経--,北緯--,海抜--(sake注,前注と同様です)に開口する風穴である.
 入口から北西に延びる流動部と南西に延びる滞留部から成り立つ(第3図).
 1.流動部について
 最初に発見された部分であり,測量も早い段階で行われ,3つの空洞が連結して成立する.平面図から分かるように連結部は狭く,空洞Aと空洞Bを結びつけるところには溶岩ボールや溶岩柱がある.この部分は直径1mほどの溶岩ボールが溶岩の流れを阻み,溶岩柱の左側をえぐり,溶岩柱を形成した.空洞Aと空洞Bの床面の落差は2m程度で,連結部では滝のようになって落ちている部分がある.空洞Bと空洞Cを連結する部分も狭く,床面の落差が2m程あって溶岩の流下の後が縄状溶岩として残っている.
 流動部は総延長75mである.
2.滞留部について
 滞留部は第3図に示すように・から・の4つの部分から成り立つ.床面の落差は殆ど認められず平坦になっている.
 滞留部・には狭い入口が2つ存在しているが,崩壊が進み,剥離した溶岩壁の断片が床面を埋めていて,測量も困難であった.一部に未測量部分を残している.
 滞留部・の蝙蝠の間付近は,床面からの高さが1.2〜1.4mある.また,滞留部・では,ルパンの足への分岐手前で高さが1.4mと滞留部全体の中では一番高い部分となっている.
 滞留部・の床面は流動部Bと流動部Cの間の上位にあって,立体的に交差する関係にある.
 滞留部は総延長155mで,流動部75mを加えると,神座川越風穴は総延長230mである.
 未測量部分を加えるとさらに長くなる可能性が残っている.
 溶岩流があれば,どこでも溶岩洞窟が存在するわけではない.溶岩が虎穴する段階で期待の噴出があっても大きな溶岩洞窟を形成するほどのガスの集中はできない.
 現在の考え方では,この地域に沼や池などの水たまりがあって,溶岩流が流下する折,多量の水蒸気を溶岩内に閉じこめ,空洞が連結して溶岩洞窟が成長し,未固結の溶岩が空洞下部を流れたものと説明されている.

4.まとめ


 1.本校地学部探険隊は富士山の北西山麓に広がる青木ヶ原樹海に於いて新溶岩洞窟を発見し,日本火山洞窟協会により「神座川越風穴」と命名された.
 2.「神座川越風穴」は溶岩流の表層に形成されたもので,北西方向に延びる流動部と入口より南西側に広がる滞留部が確認された.
 3.流動部には溶岩球(ボール)や溶岩柱が存在し,風穴の形成過程を知るのに重要な意義を持つ.
 4.測量の結果,流動部は75m,滞留部は155m以上,総延長230m以上である.未測量部分があるためさらに長くなる可能性がある.
 5.滞留部は崩落が進んでいるところがある.また地上の樹木の根が見えたり,蝙蝠などの生息も認められるなど,表層洞窟としての特徴を持つ.
 謝辞:日本火山洞窟協会の小川孝徳先生には,洞窟学の初歩から野外調査法まで多方面にわたり御指導いただいた.ここに記して謝意を表する次第である.

参考文献
1.「富士山の溶岩風穴,溶岩樹型の地質学的観察」第2巻第3号(1980),日本洞窟協会
2.「調査報告・富士山青木ヶ原の新洞窟を求めて」(1989),冒険クラブニュース14号3.「第5回国際火山洞窟学シンポジウム巡検案内書」(1988)日本火山洞窟協会



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